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スタッフブログPART⑫

2022.06.17
スタッフブログ

皆さ~ん☆こんにちは~!!!

今週の花金ブログを担当するのは~??コレカラダのアイドルこと⤴【前田】で~す!!!、、、

書いてて辛い。一応ノッてはみたものの全然面白くないし、皆さんの眉間にしわが寄ってるのを想像すると、とにかく辛いです(笑)。これは全部岩城さんのせいです。やってくれましたね。恨みます。なぜこのような書き出しになったかは、前回のスタッフブログ⑪を読んでいただくとわかります!!だんだん私へのいじりが酷くなってますね、、、もうこれはあれですね、小学生が好きな子にちょっかい出すのと同じ原理ですよね??勝手にそう解釈することにします(笑)。

さてさて、本題へ。私はこれまで色々なスポーツをしてきたのですが、その競技人生について少しお話ししていこうと思います。まずは小学校編。私の小学校は4年生から部活に入ることができ、バレーボールかバドミントンを選択して入部するという感じでした。当時バレーボール全日本代表の試合をテレビで見ていて、女子だと大林素子や中田久美、男子だと中垣内祐一や青山繁が好きでした。その憧れもあってバレー部に入部。練習は火木土の週3回。昔は土曜日もお昼まで授業があったので、お弁当を持って来るか近くのスーパーでパンなど買って食べて、午後からの練習でした。最初の頃は基本の構え・パス・対人などを6年生の先輩に教えてもらいました。人数が多かったので外で練習することもあったのですが、中には厳しい先輩がいて、何かの罰として水を飲ませてくれない、なんてこともありました(笑)。6年生になるとA・B・Cの3チームに編成されました。私は身長が145cmとチーム内で1番小さかったですが、Aチームのポジションはライト。ジャンプ力はあったので、アタックもブロックも一応できてました。八代郡市の大会では大体優勝か準優勝だったので県大会にも出てたりして、いつもベスト8だった記憶があります。4掛けで毎回日吉小か西原小に負けてました。エースの球が速くて重くて、レシーブで拾っても弾かれてました。そのエースの子はのちに信愛のエースになってて、納得でした。今思うと、熱心な外部コーチの先生と学校の先生が週3回の練習に来て指導してくださってましたが、本当に有り難いことですね。バレーが好きになったのもこの先生たちのおかげです。

⇧ 優勝旗を背筋ピンっとさせて持ってる〇十年前の前田(笑)。

当時は【文通】という手紙のやりとりが流行っていて、色々な大会で仲良くなった子と、お互いに名前と住所を書いたメモ紙を渡し合って、最高で7人ぐらいと文通してました。手紙が届いてないか毎日ポストを覗くのが楽しみであり日課でした。あのワクワクする感覚は今でも忘れません。

少し話が逸れたので戻します。結果的には私の部活としてのバレーボール人生は小学校3年間で終わりました。なぜ中学校では続けなかったのか、それは次回の中学校編でお話しすることにします。辞めたとは言えバレーボールは凄く好きだったので、実家にいた頃は地元のバレー大会に出たり、結婚してこちらに来てからは自治会主催のバレー大会、小学校のPTAバレー大会など、機会があれば積極的に参加してます。運動を通して色々な世代の方と交流するのは、やはり楽しいです!!コレカラダの会員の皆さまも色々な世代の方がいらっしゃるので、お話しするのが凄く楽しいです。いつも元気をいただいてます、ありがとうございます☆

長くなりましたね、今日はここまで。読んでいただきありがとうございました。最後におまけ⇩⇩

母に何枚か写真を撮って送ってと頼んだ中にあった、前田のピアノ少女時代の写真です(笑)。確かこれは小3ぐらいの発表会。当時から立派なシシャモふくらはぎは健在です(笑)。

では最後に、次回の更新者は・・・❛❛世界のKIBUNE❜❜にまた大きく一歩大きく前進!!!ついに世界に名を轟かせるチャンスが来た男!!木船さんです!!チャンスをものに出来るか今が正念場!!まさに脂がのってる木船さんは今、何を語ってくれるのでしょうか、、、乞うご期待!!!!!