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スタッフブログPART⑰

2022.07.22
スタッフブログ

皆さんこんにちは☺

今週のスタッフブログは、コレカラダの【女帝】こと、前田が担当いたします!

っていうか、女帝って。人生で初めて言われました(笑)。前回がアイドルだったので、今回どうしようって悩んだ挙句に出た答えが女帝らしいです。※の文章に書いてありますが、私に許可取ってる時点で、逆に私の女帝感が出てしまってますよね。これが狙いか、、、恐るべし岩城氏。

さて、本題へ。前回より私の競技人生についてお話ししてますが、今回は中学校編をお送りします。小学校とは違って、中学校の部活は見学や体験をして決める感じでした。色々な部活に1日入部して、私は最終的にバスケ部へ入部することにしました。

小学校3年間頑張ったバレーボールですが、中学校へ入学する前に「バレー部は身長が高くないとレギュラーになれないらしい」という噂を聞き、当時145cmのチビの私には絶望的なことで、嘘か本当か分かりませんでしたが、それを理由にバレー部への入部を諦め、「バスケは身長が伸びるらしい」という、これまた嘘か本当か分からない噂を信じ、バスケ部へ入部したのでした。。

《余談ですが。私がバスケを始めたと同時期にスラムダンクのアニメ放映が始まって、毎週楽しみでよく見ていました。安西先生の「あきらめたら、そこで試合終了だよ」の名言は有名ですよね。今でも染みます。ちなみに、私は三井寿が好きでした。私の友だちはやはり流川楓が多かったです。皆さんは誰派でしたか?よかったら教えてくださいね☆》

入部当初は先輩たちが怖すぎて、全然楽しくなかったです(笑)。常に「声出し」していた記憶しかありません(笑)。謎に6パターンぐらいあって、前の人と被らないパターンの声出しをするのに必死だったのを覚えてます(笑)。ただ、そんなつまらないバスケ生活の中でも楽しみはあって、試合の時に他校のかっこいい人を見ることでした(笑)。私の学校は男子全員坊主だったのですが、近隣校で唯一長髪の学校がありまして。その学校のキャプテンがバスケも上手くて、さらさらヘアーで、とにかくかっこよかったのです(笑)。「今、絶対目合ったけん!」とか、友だちとキャーキャー言ってた思い出があります(笑)。

3年生が引退して私たちが主力で頑張っていくという時に、バスケ専門の顧問の先生が異動で?居なくなってしまい、中体連に向けてどうしよう…と思っていたところ、バレー部の顧問の先生が(二人いたので)兼任する!と言ってくださって、中体連まで数ヶ月という時でしたが、熱心に指導してもらいました。1・2年の時は先生より先輩たちに教えてもらってるレベルで、3年になっても基礎すら危うい感じだったので(笑)、そのバレー部の先生が持ってきた「バスケ基礎入門」みたいな本を見ながら、みんなで試行錯誤しながら必死に練習しました。あの時間は本当に楽しくて、そして、初めてバスケで勝ちたい!と思ったのを覚えています。

中体連は八代郡3位という結果でした。それまでほぼ勝ったことがなかった弱小チームが、最後の最後に奇跡を起こしたことで、当時常勝校の名将から「〇〇中は上手くなったねー!負けるかとおもったぞ!」とお褒めの言葉をいただいきました。もの凄く嬉しかったですね。良い思い出です。

《これとは別に、バスケ部以外の部活に一時的に所属していました。砲丸投げの選手として、陸上部に借り出された時期があったんです(笑)。スポーツテストでソフトボール投げを一番遠くに投げた、という理由だけで、陸上記録会なるものに出場させられました。思春期真っ只中でしたので、とにかく嫌で恥ずかしかったですね(笑)。朝練は一人で黙々と投げるだけで、投げ方を教えてくれる人もいなかったです。でもとりあえず出たら、八代郡3位になりました(笑)。全然嬉しくなかったけど(笑)。》

中体連が終わって、私のバスケットボール人生は中学校3年間で終了しました。

そして、高校受験の為に勉強漬けの日々を送っていた私に、人生を変える出来事が起こります・・・

それは次週お話しします、今日はここまで。ふー。今回も長くなりました。最後まで読んでいただきありがとうございました!!!

では最後に、次回の更新者は・・・

ついに!!!❝世界のKIBUNE❞として、スペインで名を轟かせた男!!木船さんです!!!昨日、日本代表初ゴールをあげたばかりで、まさに今ノリノリの木船さん。帰国後何を語ってくれるのでしょうか、、、乞うご期待!!!!!