Facebook Instagram

【スタッフブログPART52】

2023.04.14
スタッフブログ

皆さん、こんにちは!!

今回の担当は、3月31日付でコレカラダを退職した前田がお送りいたします。既に退職したのにブログの為だけにコレカラダにきて、無給で執筆しておりますww。

最後のご挨拶は《番外編》として書きたいので、まずは長編大作として話題のww、”私の競技人生(高校生編)”の最終章をお届けします!!興味ある方だけ読んでいただければと思います☆

新3年生として始動し、1月の九州大会へ臨みました。全県新チームとして初のお手合わせとなるのですが、私たちの代は大分県・福岡県が強かったです。その2県に関しては毎週のように練習試合をしていたので、お互いの手の内はわかっている状態。あとは心理戦でした。2位までに入れば全国大会に出場できたのですが、私たち熊本県は権利を得ることができました!!優勝か準優勝だったかは忘れましたが、うちと大分県の別府商業高校の2校が、栃木県で行われる全国大会へ出場しました。

栃木県での宿舎はよく覚えていて、女優の山口智子の実家の【ホテル鯉保】でした。ロビー中央に山口智子ミュージアム的なやつがあって、その場がキラキラして見えました。記念に生写真をホテルの方からいただきましたが、ロンバケとか見てたので、もの凄く嬉しかったですね。完全にミーハー発動。試合に集中しなさいよって感じですねww

肝心な試合ですが、初日予選リーグで全勝して突破。日の丸先生とのその夜のミーティングでは、勝ったのに何故かしこたま怒られましてww。勝ったけど、内容がよくないとww。翌日の決勝トーナメントでは、逆に開き直ったのが良かったのか、私たちに何の欲もなかったのが良かったのか、あれよあれよの間に、気付いたら優勝してました!!ww

日の丸先生もベスト8までいけば十分と思っていたそうで、ここまで期待していなかったとのことww

栃木からの帰りは、何故か寝台列車でした。初めての寝台列車だったという興奮と、徐々に実感が湧いてきた興奮とで、全員ほぼ一睡もせず高校の最寄りの駅に到着してしまいましたww

夜中に車窓から見える星空が綺麗だったり、みんなでバカ話で盛り上がったり、それはそれで本当に良い思い出でした☆

駅に着くと1台のマイクロバスがお迎えに来てくれてました。バスには優勝おめでとう!という書道の先生直筆の横断幕が貼られており、それに乗って高校まで行きました。到着すると、春休みにも関わらず結構な人数の同級生とかその他の生徒さんが、拍手と歓声で出迎えてくれました。あの光景は今でも私の宝物です。自分が成し遂げたかった目標である、日本一になったんだ。。と、その時はちょっと他人事のような、夢のような感覚でした。

そして、次の目標である二冠目の【インターハイ優勝】に向かって、勝って兜の緒を締めよ。の精神でまた動き始めたのですが、その道のりはなかなか険しいものでした。

インターハイ予選である高校総体が6月にありました。個人戦は2位まで、団体戦は1チーム出場できます。団体は私たちの高校1チームしかなかったので、必然的に出場できます。個人戦はゆうこちゃんとなおちゃんに負けて3位だったので、二人が出場することになりました。熊本県ではフェンシングはマイナー競技なので、他校が少なすぎてライバルがいない状態でした。それは言い換えると県内に切磋琢磨できるチームがないということ。なので、練習相手を求めて、ほぼ毎週土日は県外遠征に行ってました。遠いところだと、岐阜・香川あたり、九州だと大分・福岡・鹿児島、この5県ぐらいを隔週で行く感じでした。本当に、本当に嫌でしたww。あっ!でも、岐阜遠征の時はフェリーで行ってたのですが、夜中にみんなで瀬戸大橋を見るのが楽しみでした☆

全国選抜優勝後、私たちは一気に注目され、知らず知らずのうちに追われる立場に苦しみました。錬成大会にいけばビデオを撮られ、徹底的に研究され始めたのです。

何をやってもうまくいかない時期が続き、前哨戦的な7月の九州大会では決勝で最大のライバルである別府商業に完敗。何がだめなのかも分からなくなっていました。。

そんな時は日の丸先生お得意の緊急合宿が組まれましたww。よくあるパターンです。メンタルトレーニング中心の今までにない内容の合宿でしたが、全てがリセットされプラス思考に変わっていました。

台風とラグビー部の花園予選の全校応援、あとは年末年始の2日間ぐらいと、休みは年に数回しかなく、彼氏を作る暇もなく(これは言い訳ww)、毎朝777段の早朝トレーニング、試験期間中は1時間だけ練習して帰り、たまに昼休みにも練習があったり、とにかく全ての時間をフェンシングにかけた高校生活を送っていました。周りの友だちが羨ましく感じたことも沢山ありましたが、私の親友が「私は高校生活ただなんとなく過ごしてるけど、打ち込めることを見つけた美佐子の方が羨ましい!」と当時言っていて、そうか、これはこれで幸せなことかもしれない、と思いました。

とにかく私たち全員が、日本一の練習して来たよね!!!だから勝つ気しかしない!!!と口を揃えて言ってました、それだけ自信はあったかもしれません。

そして8月初旬、いよいよインターハイ本番がやってきました。場所は京都の大山崎町。盆地という地形もあり、すごく暑かったです。宿舎は京都駅の目の前の阪急ホテルだったと思います。JRで大山崎駅まで移動し、会場までのシャトルバスに乗るスタイル。高校生が一番目標にする試合ということもあり、私も今までとは違う緊張感とワクワクする感じがありました。

トーナメントを見ると、順当にいけば準決勝で最大のライバルの別府商業、決勝で選抜でも決勝の相手だった埼玉栄と戦うことになりそうでした。準決勝までは難なくいき、ついに準決勝で別府商業と対戦することになりました。一進一退の攻防の末、勝利!!ここで1つ山を越えたような感覚でした。決勝はやはり埼玉栄があがってきました。全国選抜の優勝はまぐれ、と一部の人に言われてきた私たち。インターハイで優勝した者が真の王者、なんて言われてました。決勝が始まりました。幸先の良いスタートは私たちでした。しかし中盤追い付かれ、一進一退の攻防。ここでなおちゃんが勝てば優勝、負けたら4-4のラスト1試合勝負を私がする予定でした。私の心の中は、頼む!!なおちゃん、ここで決めてくれ!!でしたww。そして、なおちゃんが躍動しました。最後の一本、綺麗に背中に決まって、優勝が決まりました!!☆こちらのベンチに走って戻ってきたなおちゃんと、みんなで抱擁。不思議と涙は出ませんでした。その瞬間をとらえた写真がこちら↓↓↓です!!

熊日の記者の方が大会期間中ずっと帯同していたのですが、この写真は熊日の方に撮っていただいたものです。一生の宝ものです☆(私の毛量多めなきのこヘアーには触れないでいただきたいww。)

私の後ろでジャンプして喜んでいるのが、日の丸先生です。実は次の日が日の丸先生の誕生日でして、次の日の熊日にこの記事が載り、先生喜んでくれたのを覚えています。

こうして私たちは二冠目のインターハイ優勝を成し遂げました。

ちなみに、個人戦で出場したなおちゃんは3位、ゆうこちゃんは5位でした。それを見た私は見事に触発されて、団体戦で暴れまくった感じでしたww。

そして次はどこも成し遂げていない3冠達成の為に、国体に臨みました。長くなるので、なくなく端折りますww。結果としては別府商業に負けて、6位入賞という成績でした。国体は大阪国体でしたが、宿舎が民泊と言って、お金持ちの家がおもてなししてくれて、宿泊までお世話になるというシステムでした。食べきれないぐらいの豪華なご飯と、最終日はカラオケでどんちゃん騒ぎして、楽しいお祭りのような大会でした。3冠は達成できなかったけれど、悔いのない最後でした☆

それから私はフェンシングを続ける為に京都の大学に進学し、熊本に帰って来てから結婚する直前までフェンシング競技を続けました。私の人生の大半はフェンシングとともにありました。

私が自分の競技人生を通して何が言いたかったというと、この自己肯定感の低い、何の取柄もない、普通の田舎育ちの私でも、死ぬ気で頑張れば目標を成し遂げることができる、ということです。私はたまたま自分を変えるチャンスがきて、うまく乗っかりました。チャンスがきた時は、とりあえず乗っかってみる!というのもありかもしれませんね。私はまだまだ自分というものが好きになれずにいますが、歳を重ねて少しずつですが、こんな人生も悪くないなと思えるようになりました。残りの人生、せっかくなので楽しくいきたいですね☆

私が今まで書いてきたことで、不快に思われた方、共感していただいた方、様々いらっしゃると思います。でもまぁ、書いて良かったかなと思います。なんかスッキリしましたww。

ではでは、これで「私の競技人生」の執筆、幕を閉じたいと思います!!ww。

次は《番外編》!!まだまだ続きます!!!!!ww